omicha3’s diary

ダイエット成功したーい!

あの時の私には布団が重すぎた((._.))

皆さんこんばんは!おみちゃです(^〇^)

 

大学3年生のハロウィン~冬にかけて、人生で1番体重が軽い時期でした。

転んで、階段が手すりが無いとうまく上がれない状態になってほんの少しだけ自分が異常だと認識した時期。

日に日に、じりじり体重が減っていくのを毎朝体重計に乗って数字を見ることが「怖い」とも思うようになった時期でもあります。

23㎏台が表示された体重計。

同じような体重の人たちはどんな食生活で、どんな生活を送っているのか気になり、スマホでよく検索していました。

しかし、その当時は、20㎏台にもなってくると、「入院生活」をされている方が何人かおり、詳しい食事や日常生活は情報を上手く集めることができませんでした。

少し入院生活の記事を拝見し、それも怖くなってすぐにネット検索することもやめた記憶があります。

その頃から、食事量を増やした方がいいだろう・・という考えも、本当に極わずかに頭をよぎっていました。減っていく体重も怖い、今後増やさなければいけない体重も受け入れることができず、体重計に乗ることを一度止めました。

もしかすると、最低体重は23㎏台を切る状況になっていたかもしれませんが、定かではありません。

 

~1番体重が軽かった時のエピソード・状況(大学3年生秋~冬にかけて)~

やっと見出しのお話でごめんなさい(◎_◎;)

 

①大学内でも試練あり

ハロウィンの日に転倒してから、基本は車で送迎をしてもらっていました。

階段が上がることがしんどくなったことも何回も書いてしまっていますが、母も仕事があるため、お迎えの時間が合わない時はバスと電車で最寄り駅まで大学から移動していました。

まず、大学~駅までのバスがノンステップバスでは無いため、乗り込むときの1段~2段がとにかく厳しい。黄色い棒に両手で必死にしがみつき体力を全てその段差に使う勢いで何とか上っていました。時間もかかり、周りの学生さんに申し訳ありませんでした。(駅構内はなるべくエレベーターを使用させて頂きました。)

もう1つがトイレ。和式タイプしか空いていない時、筋力が無くてしゃがむ姿勢が保持できず。和式トイレは絶対に使用できませんでした。

また、洋式トイレであっても、手すりの設置が無いトイレは立ち上がりも気合がかなり必要。便座に座る時も骨があたりお尻は痛く、冬のトイレはさらに寒すぎてそれだけでもさらに体力が削ぎ落されました。

 

②とにかく寒くて着込まないと過ごせない!ロシアの人(?)みたいな帽子が必須!!

食べていないのでエネルギー源も無く、寒がりになってしまいました。

寒がりも極度。服と身体の隙間も寒いので、ヒートテックは基本2枚重ね。

スキニーパンツの下には分厚い裏起毛のタイツを着用。さらにお尻のお肉が無いため、椅子に座るとお尻が痛く、タイツ+毛糸のパンツがセット。

素肌をとにかく出さないように、毛皮みたいなモコモコの帽子を被り、首元にはネックウォーマー、手袋もしていました。どこかの民族みたいに全身モコモコになっていました。普通に外見も異様だったと思います。

 

志摩スペイン村で死にそう、と初めて感じた

②みたいな普段の状況の中、頭が回っていないのか冬休みに家族旅行に連れて行ってもらいました。複数の候補の中、自ら外で過ごす時間が多い遊園地を希望・・

志摩スペイン村でアトラクションに並ぶ中、沢山着込んで何枚かカイロも身体に貼り付けても、全く温かさを感じず。ずっとずっと「寒い」と震えながら並びました。凍死しそうだと感じました。自分がつくった状況なのに。

 

④布団が重すぎて泣いた

冬の夜は寒いことが当たり前ですが、毛布や布団にくるまって寝ていると、その布団や毛布が重たくて重たくて。重石が身体に乗っているように感じていました。

寝返りをうつにも、布団が重すぎて身体を回転させることが難しく、気持ちよく眠ることは難しい状況で、自然と涙がよく出ていました。

自分のせいなのに、どうしたらいいか分からない、夜は特に考える時間も長くなるため自分に対しての涙も多く流していました。

 

この頃は、もう家族だけではなく周りの方にも迷惑をかけている状況でした。

こうやって、文字に起こしていくと本当に大きな過ちだと感じます。

内容も醜く、見苦しく感じる方もおられるかもしれません。ごめんなさい。

次回は、話がまた被ってきますが、年明けから春にかけての状況を書かせていただきたいと思います。

 

読んでくださる皆様、ありがとうございます。

おやすみなさい✨