omicha3’s diary

ダイエット成功したーい!

先生は私を太らせようとしているの?(◎_◎;)①

皆さんこんばんは!おみちゃです(^〇^)

 

前回から日にちが経ってしまいました💦

のろのろ不規則更新で失礼いたしますm(__)m

 

今日は心療内科通院が始まり、実際心療内科ではどのようなことをしたの?どんな薬が処方されたの?というお話をさせて頂きたいと思います!

前回に続き、くどいのですが、医師やカウンセラーの方への失礼な内容があります。また、心の病気や薬について等の偏見に感じる発言もあります。

読んでくださる皆様にも不快感を与えてしまうかもしれません。

大変申し訳ありません。

 

心療内科は毎回どの曜日だとしても混んでおり、数時間かけてカウンセリング→診察→お会計といった流れになっておりました。

カウンセラーさんとのカウンセリングの時間は、「自分のこと」「体型についての自分の考え」「家族について」等とにかく何でも話してOKな時間だったと私は認識しています。1番最初だけ、心理検査も含めてカウンセラーさんからの質問もいくつか受けた記憶が・・あります。

申し訳ないことに、大変失礼ながら、最終的には自分で通院を中断したこともあってか、記憶が心療内科については他の記事と比べると不鮮明です(ToT)

 

部分部分ですが、カウンセラーさんから言われた言葉で印象的だったのは、

「(私の話す話の内容は)『母』に関することがかなり多い。そして、姉に関することは少し出てくるが、『父』に関しての話はほぼゼロ。」「母との関係がとても強く、母が心や考えに影響している印象」ということを、もう少し表現は柔らかめですが言われました。

摂食障害は、よく心の病気と言われますが、母子関係も関与しているかと言われると、とても複雑だと思います。

両親からはとても深い愛情を受けてきた・受けていると今も思っています。ただ、大学の先生に吐き出した時のように、体型や食事面に関して、家族・・特に母は食事面で引きずっていることがあったのも事実です。

その他、カウンセリングを受けた感想については、自分の話を聞く時間を設けてもらってありがたい、という感情はありつつも、どちらかというと、

「大学で習ったカウンセリング技法だ・・オウム返しだ・・・」「その解決策を今悩んでるんだよな・・・」

モヤモヤしていました・・😢本当に本当に失礼でごめんなさい。

恐らく、自分の考えや話す内容に肯定も否定もしない。距離を取った第3者目線に感じる。自分の病気にも関わらず、現状の身体の悩みを誰かに救ってほしいのに、具体的な「解決策」というものは、当たり前ですが提示されない状況に逆ギレ・・(ノД`)・゜・。

カウンセラーの方へ私が求めている内容が筋違いだったこともあり、当時カウンセリングで心が軽くなる。スッキリするといった経験はあまりありませんでした。(ごめんなさい・・!)

診察は、順番になると先生が直接診察室から出て来て名前を呼んでくれました。

先生は、ちょっと大きい身体でのしのし歩く感じ。

心療内科全体の落ち着いた森のような雰囲気があり、先生はムーミンに見えました。

私の周りの心理の先生はムーミン谷の住人が多いんだなって当時思いました。(大学の心理の先生はスナフキン(以前の記事にて))

先生は、とても口数が少ない、落ち着いてゆっくりお話しされる方でした。

基本は今の体重を聞かれ、その体重についてどう思うか。最近の体調について、とても短く端的に質問をされました。

通院初期に、「食べることが怖い。太ることがとても怖い。食べると身体が苦しく、お腹が痛くなる感じがする。」といったことを伝え、1番最初は漢方が処方されました。

漢方の名前を覚えておらず、ごめんなさい。

その漢方は、調べると確かに、決して食欲増進剤ではありませんでした。しかし、先に述べたように「食べること、太ることが怖い。」という話に対してっ薬が処方された・・!

=食欲を出そうとしている!!食欲がコントロールできなくなるかも?!!

=先生は私を太らせようとしているの!!?

とすごく飛躍して、先生の処方してくれた漢方に強い不信感が最初からありました。嫌々服用するものの、確か2日ほどで完全拒絶。食欲を抑え込んでいた時と同様に、「薬=悪」と頭で思い込み、身体も不調で拒絶していると思い込み(?)、食事と同様に服用すると胃が痛い等私は言い出して、次回通院まで服用できませんでした。

 

次回通院の時に、「飲むと体調が悪くなる」「飲んで食欲が出るのが怖い」と伝えた私に、「そうか。これはそういう薬ではないんだけどな。」といつも通り落ち着いた声で言った後、「少し気持ちが落ち着く薬を飲んでみようか。」と、副作用の説明もしてくれた上で、『レクサプロ』という抗うつ剤が追加処方されました。

 

本当に・・ああ言えばこう言う、を行動化する私・・( ;∀;)

レクサプロが処方され、「自分は精神病なのか・・心も頭も身体も私はおかしいのかな・・」と漢方の時とはまた違い、自己嫌悪が襲う。

精神病と決定打を打たれたような感じがして、ひどく落ち込み、ただほんのほんの僅かに冷静さを取り戻し(?)、「漢方もレクサプロも1回服用してみないと・・治さなきゃ・・」とその日(受診当日)の夜から服用開始を決意した覚えがあります。

 

いつも通り長文なのでm(__)m💦

次回レクサプロ服用の夜🌉からお話させていただきたいと思っております。

 

いよいよ明日は大晦!そして年明けへ!🌄🐇🐉🎍

皆様よいお年をお迎えください😊🍀

今日も皆様ありがとうございました!

 

突如襲い掛かる食欲と心療内科への通院💊②

皆さんこんにちは!おみちゃです(^〇^)🎄✨

 

もうお腹減りました・・(;^ω^)

自分の消費カロリーをもっと上げてもう少しご飯の量増やしたいです・・!!

今はジムのトレーナーさんに食事も管理して頂いているため、定着するまで頑張ります🔥

 

大学3年生が終わる頃に、拒食症から、過食症の始まりについて前回書かせていただきました。

太ることへの恐怖が大きく、自身で抑えられない食欲を経験しパニック。すがるような思いで、心療内科通院を決意。

今日や次回以降の記事の内容や発言は、個人的な意見や実際心療内科通院を行った時の感想であり、人によっては落胆させてしまったり、摂食障害や心を治したい・回復させたいと思っている方にとって、大変失礼なものになるかもしれません。申し訳ありません。

あくまで私1人の、主観のみのお話となります。

 

食欲をコントロールできなくなり、心療内科への通院を両親へもお願いした時。

私の気持ちは、本当に、「現状状態を変えたい」「摂食障害を治したい」という気持ちでしたが、「太ることへの恐怖」が半端ではなく、あくまで『40㎏~42㎏程度』。私にとっての「細くていつも羨ましかった体型」になりたい、というものでした。

食欲がコントロールできない経験をし、1人でこのままだと過食を繰り返す可能性がある。どんどん太っていくことが怖い。何とかベスト体重で増加を止めて維持したい。

とにかく体重の数値が私にとっては重要な問題であり、心療内科で専門的な診断・治療を受けて何とか太りすぎないようにしたいと思っていました。

 

自分にとって、『摂食障害を治す=体重40㎏~42㎏を維持する』こととなっており、この時はまだまだ摂食障害に対しての認識や、通院目的、治すということへの目的やゴールがズレていたと思います。

大学生で摂食障害となり、30歳の今、やっと病的で過度ではないダイエットの目標(155㎝ 48㎏(。-`ω-)!体脂肪率はまず25%をきってみたい!(理想は高めののまま😊💦!!))に変更することができました。

 

心療内科通院を快諾してくれた両親と、大学3年生の冬に約束をしました。

必ず、大学の単位は落とさずに卒業まですること。就職活動も行い、ストレートで就職先を決めること。

この目標は当たり前かもしれませんが、特に私と母の関係性の中では大きなものでした。「学生たるもの勉学に励むもの✎!」を大切にしている母にとって、心療内科への通院は、どうしても時間的に大学の授業を欠席・途中退席する場合も出てしまうことも寛容に許してくれた両親。それに甘えて、摂食障害だからとズルズル大学を休んだり、極端に生活リズムを変えて大学の単位を落とさないようにという、私に対しての、ちょっぴり厳しくも、こんな私に期待もしてくれていた愛情の証拠だったと今感じています。「家事よりも仕事が好き」と言っている母にとって、仕事の時間も削り、大学や病院実習の送迎、病院通院等、普通では考えられない程私に時間を割き、身体も心も不安定な状態の私と向き合うことは苦痛だったと思います。

そして、父はいつもですが、あまり生活状況や勉強について細かい意見は言わず、寛大に見守る体制を取ってくれていたことにもとても感謝しています。

 

いざ、心療内科の通院を決意。母が周りの方から頂いた情報で、おすすめの心療内科を知りました。

自分で心療内科クリニックへ電話すると、「今新規の患者さんは受付を停止している」という旨を電話口で言われました。ただ、受付の方も電話口の私の年齢が若かったから?なのか理由は定かではありませんが、年齢や現状について質問してくださり、先生へ新規受付の確認を取ってくださいました。

日時指定で、すぐに近い日にちで何とか新規受診の枠を取ってくださいました。

 

初めて受診する日は、誰かに助けてもらいたい気持ちもあり、ホッとしていたと思います。初めての初診は半日以上かかった覚えがあります。

11時頃?お昼前に受付したと思うのですが、問診→心理カウンセラーの方受診→先生(医師)の診察→会計で、終わると夜真っ暗になっていました🌉

その日の大学の授業は1つか2つだけ受けて、あとは全てお休みしました。

クリニックに入ると、落ち着いた音楽が流れており、待合席はカウンターのようなつくり。診察室や受付に向かって座るスタイルではなく、カウンター席に座って、ガラス張りの窓からお庭を見て待つようなスタイルでした。

人は多いけれど、流れる音楽や、風景のせいか、時間の流れがとてもゆったりしている空間でした。待っている患者さんがとても多く、座る席がなくて車で過ごすこともその後ありました。

 

今日はあまり深い話ができなくてごめんなさい(´;ω;`)

次回、カウンセリングや診察、頂いた薬等お話できたらと思っております。

今日もここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。

 

メリークリスマス!🎄✨🌉🎅

 

突如襲い掛かる食欲と心療内科への通院💊①

皆さんこんにちは!おみちゃです(^〇^)

 

寒くて活動量が減っています・・( ;∀;)

家に引きこもりながら、今日も早めの時間に書かせていただきます!

就活の話をしようと思ったのですが、時系列的にどうしても書きたいものがあり、申し訳ありません。今日は心療内科通院のお話がメインとなります💦そしてまたかなり長文ですm(__)m💦

 

いざとういう食事の時は特にイライラカリカリ・・

家族以外の人と中々食事を摂ることができず、家ではモヤモヤイライラ爆発💣(´Д⊂ヽ

食事はパニックになりつつ、大学の授業や皆の前ではなるべく「普通に」装うと心が不安定だった大学3年生の冬~春。

体重は30㎏台となり、バスの大きいステップを上ることや、和式トイレは一苦労するものの、膝の状態も少しずつ改善に向かい、電車・バス通学と車の送迎両方で大学に通うようになっていました。

大学4年生の先輩方の卒業シーズン、いよいよ大学4年生から始まる自身の就職活動のことも考えるようになっていたその頃・・

 

「30㎏台で歩けるようになってきたし、まだ痩せている。順調だ。」と驕っていた私。頭・身体の中で何かがはじけた瞬間。

それは突如、大学の講義中に起こりました。

 

「何か無性に食べたい。」

 

本当に突然頭をよぎりました。そして抑えられない衝動。

食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい・・!!

食べたい!!!!

先生の声が聞こえなくなり、とにかく「今」食べないと気が済まない、抑えられない衝動に。食欲を消そうとするも、頭痛もし始め、授業どころでは無くなった私。

手を挙げて、「先生、すみません。少し体調が悪く、授業を抜けても良いでしょうか?」

初めて、授業を途中退席しました。

頭痛と自分の鼓動の速い心臓の音、あとは「何か食べたい。」という気持ちだけが自分の中にありました。

 

何でだろう・・と思いながらも、足早に向かったのは大学内の購買。

1番真っ先に手に取ったのは、スニッカーズというお菓子。

外国のお菓子で、ピーナッツかな?ナッツと飴が混ざり合ったものの上にチョコレートコーティングされたもの。

まさに私にとってはカロリー爆弾💣!( ゚Д゚)

今調べたら1本248kcal

このお菓子は、母が大好きで、私も母からもらった時、最初パリッとチョコレートの割れる食感と、後からすぐにくると水飴のにちゃにちゃ具合(表現ごめんなさい;)が衝撃的で大好きでした😊

本格的なダイエットを始めてから食べることができなくなっていた代物。

数年ぶりスニッカーズ・・

それ以外にも、遠ざけていた板チョコ等甘いものはババッと3~4つ手に取り、人目を避けて瞬時に飲み込むように食べました。

脳に直撃する甘さと美味しさ。本当に美味しく感じました。

 

「今、食べた・・!なんカロリー??!でも今までの分もあるからあたいつも通りの食事をすれば大丈夫・・。すごく美味しかった・・」

焦りと、甘いものの美味しさと色んな感情が混ざっていました。

頭痛は消え、自分の感情のせいなのか、数年ぶりに一気に糖分を摂取して身体がビックリしたのか、心臓の音はとても大きく頭にも響きましたが、少し冷静さも戻り、また足早に講義に戻りました。

数分~10分後くらい。

また頭痛が・・!そしてそれと共に来る食べたい衝動。

「・・だめだ・・・・。抑えられない。先生の話も全く入らない。」

諦めて2度目の退席。その授業がその日の最終コマだったため、授業にも戻らないことを先生に伝えました。

 

涙が溢れながらもまたもや購買へ足早に。2回目ということもあり、少しだけ食べるものは考えて食事系のものも手に取りつつも、甘いものが止まらず、また板チョコとスニッカーズも買いました。自分の行動が恥ずかしくて、さっきレジを打っていただいた方の列と外れるようにもう1つのレジを狙ってお会計をしました😿

 

泣きながら食べて、泣きながら仕事中の母親に電話をする私。

「もう分からなくなっちゃったよ・・!」と泣き叫びながら母親に電話しました。

母が仕事を早く切り上げてくれて、大学までお迎えに来てもらいました。

授業が終えた皆も帰り、少し時間が経過したからか、ちょっとだけ落ち着いた時に、母がお迎えに来てくれました。

母の顔をみると、また涙が出て来て、今日の出来事を話しました。それと同時に、自分から「先生に、相談したい。」と話しアポも取らずに先生のお部屋へ。

そして、自分が選んだのは、自分のゼミの先生ではなく、自分の学部学科の先生の中でも関わりの薄い先生。でも、その先生は心理専門の先生でした。(失礼な言い回しかもしれませんが、私にとっては、深い海のような目と雰囲気を持った、スナフキンみたいな先生)

自分自身が、拒食症であり、心理的にも病的な状態であると薄々理解しており、専門の先生に自分の状況をまずは伝えたいと思いました。

アポなしにも関わらず、先生のお部屋をノック。ドアを開けた先生は、少しだけ驚いた顔をしましたが、「身体のことを相談したい。」と伝えると、忙しい中にも関わらず、自身の研究室の中に入らせてくれました。

 

母親を横に、心理の先生を目の前にして、自分のダイエットの始まりから現状状態までを話していく中で、

家族からの「太っている」「デブ」「くそぶー」といった言葉や、高校でのお弁当の中身発言(以前ブログに上げた、ご飯量や色目等の話)、母の偏った食生活等家族への恨みのような言葉もつらつら吐き出しました・・

自分がデブで醜い、という考えは自分だけではなく周りからの影響も大きいといった話をしたと思います。こういう発言が醜くて申し訳ありません。

その時母の顔を見ることはできませんでした。

一通り私が話きった後に、私は一度退席し、母と先生2人で話す時間がありました。

そしてまた3人でお話をする時、先生はあくまでアドバイスに徹するのではなく、私や母の発言に耳を傾けてくれました。

私自身は、「摂食障害を治したい。でも、太るのは怖い。デブは大嫌い。」といったことも伝えたと思います。先生からは、摂食障害という直接的なワードは言われませんでしたが、今の私の状況は心療内科等、専門的医療機関への通院も1つの選択肢として挙げて頂いたと思います。

 

先生との話を終え、少し母からは怒りの感情とオーラを感じましたが、私から心療内科への通院をしたいことをお願いしました。

そして、ここから心療内科への通院が始まります。

心療内科はとにかく混んでいて、最初の初診の予約を取ることも大変でした。

 

長くなりすぎてしまったので(・_・;)

心療内科についてまたちょっと次回も書かせてください!

内容の変更ごめんなさい!

 

皆さん、良い週末とクリスマスを過ごせますように🍀✨🎄✨!

今日もありがとうございました。

 

 

もうすぐ就活、の大学3年生の冬②(@_@)

皆さんこんばばんは!おみちゃです(^〇^)

いつもより早い時間にパソコンと向き合えています✨ありがたや。

 

今日は、前回と同時期、大学3年生冬~春にかけての大学生活の状況を書かせていただきます。

始めに、次回以降で実際の就活状況も書かせていただくのですが、先に少しだけ就活に関することも触れさせていただきます✎

 

大学では、心理と福祉を専門に学ぶ学部・学科に所属しておりました。

病院の相談員(医療ソーシャルワーカー)を目指していたのですが、病院の相談員になるためには、「社会福祉士」という国家試験の合格が必須でした。

国家試験は毎年2月の第1週目土日が恒例となっており、大学4年生の2月に受験、3月に合格発表という流れとなっておりました。

そのため、例えば病院の相談員枠で就職先内定✨!となった場合も、国家試験に合格しないとその病院では基本お勤めができない・・という状況でした。

このお話も踏まえて、次回以降私の本格的な就活の話にぜひお付き合いください😊m(__)m

 

大学生活では、心や身体が異常な状態の私を、同学年・同学科の子達の前にさらけ出すこと、身体のことについて話題に触れられることも、気持ち悪がられたりする可能性にもビクビクして不安もあり、同学年の子や・友人との距離を自分から取るように生活し始めていました。

まず、みんなの前で一緒にお昼ご飯を食べることも気まずく、ふわっとその時間になると消えて1人で過ごすことも多めに。

そんな中、自分にとって一石二鳥であったのが、国家試験受験対策の勉強会に参加することでした。

その勉強会は、毎年4年生になると開かれるものだったので、参加者は全員大学4年生。先導をきってくださっていた先生にお願いをしたところ、3年生の私も勉強会への参加を許可してくださり、同じ学年の子と離れて1人で勉強会へ参加していました。今思うと、絶対に試験に受からなければいけないという強い思い・プレッシャーは恐らく後付けの理由であって、友人と離れて過ごす時間と理由が欲しかったことの方が大きな参加理由だったと思います。

(もこもこ厚着で身体はガリガリ、顔色も土色で見るからに不健康であった私なので、同学年の子以外にも私を見た人全員が異様に思う可能性は十分だったと思うのですが、そこまで配慮できる頭・心の余裕はなかったようです・・)

 

心の不安定さも健在

ハロウィンの日に転倒後、膝は縫ってもらい、治癒能力も衰えているため、数か月かけて電気治療通院等、ここでもかなり、母の時間を奪い私のために動いてもらいました。

膝の治療で通院中、最初はXXS?XSよりもさらに小さいサイズのスキニーパンツの下に裏起毛タイツと毛糸のパンツを履いて着ている状態でしたが、徐々にスキニーパンツが膝上まで裾をまくり上げるのがきつくなり、裏起毛タイツを履かなくなったことを覚えています。

それは、体重増加の証拠。といっても、ズボンのサイズは基本XSだったため、大学3年生の冬~春にかけては20㎏後半から30㎏前半程度の状態でした。

この時の増量は、心がハイ(ハイテンション)の状態だと、「うまく増量して、痩せた状態をキープできている。私はもう元気だ!大丈夫だ!」と飛躍した勘違い。

通院や、母に車送迎をしてもらっている関係で、大学授業に少し遅刻することもあり、ちょっと小走りして教室に向かう途中、ハロウィン後も2~3回大学で転んだこともありました。転んで「まだちょっとだめかぁ。」と口にするも、何故か心は元気・・

いざという食事時間以外は、心がハイになっている状態が多かったと思います。特に大学では。異様なハイテンション状態。まだまだ脳みそにも栄養が行き渡っていないいないと思うのですが、大学の授業にはついていくことができ、「まだ細い。」という変な自信もあったようで、カラ元気にコミュニケーションを取っていたと思います。

(ご飯の時は姿を消すのですが・・・(T_T)

前回の記事で書いていた状況と同時期なのに、本当に家庭での私の姿は特に最悪な態度でした。大学では、妙なハイテンションで気持ち悪かったと思います。

 

今でも、同じ学年・学科であった友人がありがたいことに、私との関わりを絶たずに付き合いを続けてくれているのですが、

「かなり痩せて心配だった。」と言うものの、一緒にいる時間も多くそれが当たり前、毎日会って、元気に会話していたこともあり、「この人おかしい」という気持ちにはならなかったとのこと。

その子以外も、大学卒業には80㎏を超える激太りしていく私ですが、決して特別扱いはせずに普段通りずっと接し続けてくれた同学年・同学科の約20名の皆さんに本当に本当に感謝しています。

 

大学3年生の春頃30㎏台へ

ここからが、体重激増・激太りの始まりに・・

 

今日も長文を読んでくださりありがとうございました。

皆さん、今日もお疲れ様です🍀

あたたかくしてお過ごしください🌉✨

もうすぐ就活、の大学3年生冬①(@_@)

皆さんこんばんは!おみちゃです(^〇^)

 

今日は、前々回の続き 私の拒食症だった時

大学3年生の冬~春頃にかけてのお話をさせて頂きます。

中々話が進まず申し訳ありませんが、今日は食事編。

 

自分の体重が軽すぎると秋に認識してから、「食べる」ことに恐る恐る挑戦。

とにかく「太る」ことへの恐怖がぬぐい切れないため、年明け頃は色々なダイエットの記事を見て、「主食=お米の量をはかって食べる」「ワンプレートごはん」に挑戦していきました。

何が何でも野菜を食べなきゃ気が済まない、一口目は必ず野菜。これは譲れないマイルールでした。(今も野菜は毎食食べないと少しイライラしてソワソワしてしまいます(*_*;))食事の時に「太る」ということが頭をよぎり、この頃はかなり食事の時イライラしていました。

「絶対にリバウンドはしてはいけない。40㎏くらいまで増えて必ずそこで維持させなきゃ。」と思い、ダイエットに成功した方の食事方法を調べまくる日。

 

ワンプレートごはんは野菜を手のひら2つ分(両手)、おかずを手のひら1つ分(片手)、ごはんを握りこぶし1つ分におさまるように仕切りで分けられているダイエット専用のプレートを購入して使用しました。主食のご飯は80gきっちり計って食べていました。「もう少し食べてもいいんじゃない?食べても大丈夫だよ。食べたら?」といった食事量に関して母から言われた時には激怒。

せっかく用意してもらうご飯にも、「太らせようとしている」とよく怒っていました。(ごめんなさい😢)

家事・料理はあまり好きではないと言っていた母。また、高校生の時に母が作ってくれたお弁当に対して、一緒に食べていた子から「すごいご飯の量だね。」「お弁当に羊羹が入ってるんだ(笑)」「茶色いお弁当だね(=野菜が少ない)」と言われたことがあり、その言葉を私はかなり引きずっていました。

ちょっぴり偏食気味でもある母に対して、ダイエットに関する食事方法は信用できていなかったからです。

仕事も大変な中用意してくれいているのに、泣きながらいちゃもんをつけて怒ることも多く、「じゃあ何が食べたいの?」と母を困らせる私。でも、食事自体が恐怖であり、食べたいものは無い。必死で食欲を消そうとした自分に、食べたいものを聞かれてプチパニックで逆ギレ。とにかく40㎏(許容範囲42㎏)で体重を止めたい私。でも、自分でワンプレートご飯を用意しようとすると、太る恐怖に負けて量を少なくしてしまっていました。目標体重まで落として維持させる、というダイエット成功経験が無い私は、とにかく自分にも自信は無いままで、母に八つ当たりしてしまったいました。

 

この頃から、家族との外食も復活し始めました。

基本は、カロリーも分かって自分で食べる量を調整できる『くら寿司』へ連れて行ってもらいました。

しかし、くら寿司でも時々サラダメニューが売り切れで無い時はパニックでまた怒る・・。オニオンサーモン等お寿司にのった野菜で何とか落ち着こうとしますが、野菜の量が足りず、パニックはおさまらず怒っていました。

本当に怒って食事することが多く、今こうやって文字に起こしていて「ごめんなさい」の気持ちでいっぱいです。

 

次回は、同時期の大学での生活についてお話させていただきたいと思っておりますm(__)m

今回も、親不孝な内容で、不快な思いをさせてしまったら申し訳ありません。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます😊

 

皆さん、おやすみなさい🌉✨

☆番外編☆今のわたし

皆さん!こんばんは(^〇^)おみちゃです。

 

昨日からとっても寒くなりましたね(;;)

いらない情報ですが、巻き肩・猫背・超反り腰というコンプレックスも抱えており(II◇II)、寒くて身体が縮こまるのか首から肩にかけてが凝って痛いです!

毎日数分のストレッチはしていますが、どうかチリツモで改善傾向に向かってほしいです!!

皆様もどうか身体にお気をつけください🍀

 

自分の過去のことをいつも、つらつら長文で書かせて頂いておりますが、内容も暗いので(・・;)

そこまで明るい話ではありいませんが、今のわたしについて少しだけお話させてください!続きではなくてごめんなさい。

 

とってもピンポイントですが、今日のわたし。

 

ブログを立ち上げた時よりも少しだけ体重を落とすことができました。

本当に今の環境に感謝なのですが、およそ1か月前より、パーソナルジムに週1回通っています。

何回も何回もリバウンドを繰り返しているため、ジムと一緒に簡単に栄養学の講座を受けながら3か月間は毎日ジムのトレーナーさんに食事内容の報告をしていくコースに入っております。

 

この約1か月

食事・・・1日約1100キロカロリー(PFCの目標数値も提示して頂いており、それに合わせて食事を摂っています)

生活・・・お仕事は3~4時間くらい立ち仕事、その他家事

運動・・・朝5分程度のストレッチと5分~10分の宅トレ動画

といった状況で過ごしています(^^)

 

正直、食事管理が始まる前は1食で1000キロカロリー超えていることもかなり多く、さつまいも🍠大好き人間な私は、主食のごはん+さつまいも250gくらいは食後のおやつで毎食でも食べちゃうぞ!の勢いでした・・たくさんたくさんお菓子も食べてました!食べるの大好き(^〇^)✨

永遠に1日1100キロカロリーの基準では無いこと(ゴールがあり、リバウンドしにくいように目標摂取カロリーや理想PFCバランスを知ることができる)や、しっかり体重や体脂肪率の変動を見ながらサポートしてくださる方がいて、本当に安心して取り組めています。

 

今年も、4月から7月の間でマイナス6㎏、7月から10月の間でプラス10㎏という見事なリバウンドをしました(;;)

頑張って痩せたとしても、維持させる術を全く習得できないこの30年の生き様(;;)年齢的にも痩せづらくなるばかり・・

今年挑んだ4月からのダイエットは、お菓子は基本我慢、夕食はプロテインバー2本でカロリーを抑えるという方法でした!甘いもの欲をプロテインバーで抑えるぞ(・ω・)作戦です。頑張っている時は主食も少なめに・・とか調子をこいていろいろ我慢しますが、ある日突然、「私、一生好きなもの我慢するなんて嫌!!!!」と吹っ切れて過食スイッチON!!

今日はチートデー★から始まり、切り替えできず、そのままの食事量で「美味しく食べてる自分がいい!」と何とか自己肯定感をこじつけ。

そしてまたある日、みるみる太る自分を見て落ち込む・・

大学生の時のように20㎏台やあ80㎏台にはなっていないものの、体重は全く安定しないまま・・

本来の私はどこ??状態

 

ジムの費用はかかりますが、本当に痩せたい。体重を安定させたい。

自己肯定感も高めたい。

健康的な身体で、精神状態も体重に大きく左右されないように安定させたい。

体重だけではなくて、体脂肪率の数値とも向き合う(・◇・)!

 

人のお力をお借りして、「今、人生最後のダイエット、そして維持する」を目標に取り組んでいます。

過去のお話も継続してお話しつつ、「今の私」についても皆様に知って頂きたいと思っております。

そして、本当にできれば

自分の過去と現在のこの記録が、誰かの情報源となったり、

食事や体型に悩める方など(全く関係ない話でも!(^〇^))がコメント等で気持ちを吐き出したり、皆さんと交流できる場になったら嬉しい、目標でもあります!

 

まとまりの無い話でごめんなさい。

過去と現在の記録が時々織り交ざりますが、またぜひお付き合いください。

今日もありがとうございました!

 

皆さん、おやすみなさい🌉✨

 

 

あの時の私には布団が重すぎた((._.))

皆さんこんばんは!おみちゃです(^〇^)

 

大学3年生のハロウィン~冬にかけて、人生で1番体重が軽い時期でした。

転んで、階段が手すりが無いとうまく上がれない状態になってほんの少しだけ自分が異常だと認識した時期。

日に日に、じりじり体重が減っていくのを毎朝体重計に乗って数字を見ることが「怖い」とも思うようになった時期でもあります。

23㎏台が表示された体重計。

同じような体重の人たちはどんな食生活で、どんな生活を送っているのか気になり、スマホでよく検索していました。

しかし、その当時は、20㎏台にもなってくると、「入院生活」をされている方が何人かおり、詳しい食事や日常生活は情報を上手く集めることができませんでした。

少し入院生活の記事を拝見し、それも怖くなってすぐにネット検索することもやめた記憶があります。

その頃から、食事量を増やした方がいいだろう・・という考えも、本当に極わずかに頭をよぎっていました。減っていく体重も怖い、今後増やさなければいけない体重も受け入れることができず、体重計に乗ることを一度止めました。

もしかすると、最低体重は23㎏台を切る状況になっていたかもしれませんが、定かではありません。

 

~1番体重が軽かった時のエピソード・状況(大学3年生秋~冬にかけて)~

やっと見出しのお話でごめんなさい(◎_◎;)

 

①大学内でも試練あり

ハロウィンの日に転倒してから、基本は車で送迎をしてもらっていました。

階段が上がることがしんどくなったことも何回も書いてしまっていますが、母も仕事があるため、お迎えの時間が合わない時はバスと電車で最寄り駅まで大学から移動していました。

まず、大学~駅までのバスがノンステップバスでは無いため、乗り込むときの1段~2段がとにかく厳しい。黄色い棒に両手で必死にしがみつき体力を全てその段差に使う勢いで何とか上っていました。時間もかかり、周りの学生さんに申し訳ありませんでした。(駅構内はなるべくエレベーターを使用させて頂きました。)

もう1つがトイレ。和式タイプしか空いていない時、筋力が無くてしゃがむ姿勢が保持できず。和式トイレは絶対に使用できませんでした。

また、洋式トイレであっても、手すりの設置が無いトイレは立ち上がりも気合がかなり必要。便座に座る時も骨があたりお尻は痛く、冬のトイレはさらに寒すぎてそれだけでもさらに体力が削ぎ落されました。

 

②とにかく寒くて着込まないと過ごせない!ロシアの人(?)みたいな帽子が必須!!

食べていないのでエネルギー源も無く、寒がりになってしまいました。

寒がりも極度。服と身体の隙間も寒いので、ヒートテックは基本2枚重ね。

スキニーパンツの下には分厚い裏起毛のタイツを着用。さらにお尻のお肉が無いため、椅子に座るとお尻が痛く、タイツ+毛糸のパンツがセット。

素肌をとにかく出さないように、毛皮みたいなモコモコの帽子を被り、首元にはネックウォーマー、手袋もしていました。どこかの民族みたいに全身モコモコになっていました。普通に外見も異様だったと思います。

 

志摩スペイン村で死にそう、と初めて感じた

②みたいな普段の状況の中、頭が回っていないのか冬休みに家族旅行に連れて行ってもらいました。複数の候補の中、自ら外で過ごす時間が多い遊園地を希望・・

志摩スペイン村でアトラクションに並ぶ中、沢山着込んで何枚かカイロも身体に貼り付けても、全く温かさを感じず。ずっとずっと「寒い」と震えながら並びました。凍死しそうだと感じました。自分がつくった状況なのに。

 

④布団が重すぎて泣いた

冬の夜は寒いことが当たり前ですが、毛布や布団にくるまって寝ていると、その布団や毛布が重たくて重たくて。重石が身体に乗っているように感じていました。

寝返りをうつにも、布団が重すぎて身体を回転させることが難しく、気持ちよく眠ることは難しい状況で、自然と涙がよく出ていました。

自分のせいなのに、どうしたらいいか分からない、夜は特に考える時間も長くなるため自分に対しての涙も多く流していました。

 

この頃は、もう家族だけではなく周りの方にも迷惑をかけている状況でした。

こうやって、文字に起こしていくと本当に大きな過ちだと感じます。

内容も醜く、見苦しく感じる方もおられるかもしれません。ごめんなさい。

次回は、話がまた被ってきますが、年明けから春にかけての状況を書かせていただきたいと思います。

 

読んでくださる皆様、ありがとうございます。

おやすみなさい✨